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「嫉妬」

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「できたての湯葉なんてもう、嬉しすぎる」
鍋から立ち上る湯気に、普段は淡々と話すA子もはしゃぐ。

 彼女とは高校三年間を共に過ごした。オーストラリア人と結婚してフィジーに居を構え、
子育てに一段落ついたところで小説を書いたら、それがいきなり新人賞をとった。
以来、作家となり、今回は三年ぶりの帰国。豆腐を嫌というほど食べたい、というリクエストで、
私たちは小料理屋でコンロを囲んでいた。

 共通項は、本だった。本好きという点しかなかった。A子は、エレキを背負って
髪の毛を立てて登校した。ヘビメタとかパンクのバンドを結成し、スタジオ代や
ライブ費用を稼ぐのにいつも忙しかった。私は授業とESSの英語劇の練習に出たら、
家の門限前に帰宅する地味な優等生だった。
 よく本の話をした。村上春樹、村上龍を貸してくれたのはA子だったし、
梶井基次郎、倉橋由美子の良さを滔々と語っていた。サリンジャーも一緒に読んだ。
放課後の図書室でもよく出くわした。選択授業の作文クラス仲間にも、洋楽ロックスターを
キャラに仕立てた同人コミックを作ろうとたむろする中にもいた。

 ひとつだけ、ふたりだけで取り組んだものがある。卒業文集の編集だ。A子が編集長に
名乗りを上げたのを見て、私も副編集長に手を挙げた。編集方針をめぐってこの時は、
実によく喧嘩をした。
 A子は迷いもなく文学部に進んだ。私は「文学なんて学校で習うもんじゃない」と決めつける
父に逆らいきれず、親が決めた大学と学部を受けて合格した。それぞれ無難に就職すると、
やがて年賀状も途絶えた。

 四年前、彼女の受賞の快挙を知った。すごく会いたくなった。何を話したいのだか
わからないのだけれど、絶対に探さなければ、と思った。けれど、連絡先がわからない。
 ネットでアンダーグラウンドに活躍していそう、という直観があった。我ながら驚くほどの熱意で、
ネット上を捜しまわった。作家志望者サイトに投稿しているのを見つけた。ペンネームでも
A子だとわかった。2ちゃんねるにもいた。でも、そこではアドレスを交換できない。
 最後、ミクシィでやっと見つけた。名乗ると、A子も再会を喜んでくれ、
帰国のたびに会うようになった。

 捜し出そうとした衝動の強さを、不思議に思った。懐かしさ100%、ではなくそこにほんのり、
ダークな影のようなものがさしているのも気になった。その頃私は翻訳業を始めて多忙だった。
やってもやっても、泡のように消えてなくなる実務翻訳。それはそれで人のお役にたてるし、
楽しくもあるが、これだけをこの先ずっと続けられるか、微かに戸惑っていた。
 醜い感情ほど、無意識は隠す。突き詰めると、嫉妬だった。認めざるを得なかった。
残る仕事がしたい。日々書く人になりたい。作家として世の脚光を浴びたA子が羨ましかった。
 つまり、作家に憧れていたことを生まれて初めて自覚した。机を並べていた友が、どうやって、
本に名を残す側に行けたのかを聞きだしたかった。もっと言うと、A子と会って、
自分には欠けていたものを知りたかった。
 
 再会してわかった。彼女は好きなものをずっと好きでい続けた。元々の文才に加え、
それもひとつの才能だった。結婚して子供ができてからの多忙を言い訳にもしていなければ、
頻繁には帰国できない不便も、活字中毒者だったのに日本の本が手に入りにくいことも
ハンディには捉えていなかった。
 日本語放棄した十年だったけど、やっと時間ができたから、
高校の作文の授業を思い出して書いてみただけ、と低い声で言った。書いてみたくなったの、と。

 今もし、私の願いがかなっていないとしたら、好きなことを好きでい続けなかったからだ、と気づく。
ダークな影の正体を知り、頭がクリアになった。忘れたふりをしていたパッションも思いだした。
諦めやいたらなさの後悔に、嫉妬という衣を着せてはいけない。
 文学に戻ろう。
 本好きでした、だなんて、どうして過去形にしていたんだろう。


 「書く三昧、の生活になってよかったね」胡麻豆腐の天ぷらとだし汁を
彼女の前に置きながら私は言った。
 「でもさ、小説を書くことと本が出版されることは違うんだよ。そっちだってさ、
面白そうな洋書見つけたら、紹介できるわけでしょ。本屋にいつでも行けて、夜遊びもできるのも
羨ましいよ。あっち、家の周りに何にもなくって。窓にカーテンもないから月明かりで
眠れない夜とかあるのよ」
  夜フラフラと飲みに行けて、豆腐を死ぬほど食べられる私にA子が嫉妬をしているかは
知る由もない。少なくとも私には、誰はばかることなく好きなことを選べ、と示してくれる
かけがえのない存在。望みが満たされていない身勝手な嫉妬なんかで、
そんな得難い友情を台無しにてしまうことなどありませんように、とほろ酔い心地で願った。






















































ワーホリ任侠伝

ヴァシィ 章絵 / 講談社

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by office_bluemoon | 2010-11-16 17:13 | ほんの習作(掌編・エッセイ他)