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『グリッツ』 エルモア・レナード

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師匠は言う。「簡単にいうと、読みにくい文章が、純文学。
読みやすいのが、エンターテイメント文学」、だと。
三十年以上第一線で活躍する人のお言葉でありながら、不遜にも
本当にそうだろうか、読みやすい文章イコール必ずしも美文ではないのでは、と
ずっとささやかに抵抗をしていた。

和訳で特に手こずるのが、“he said”, “I said”といった
話し手の扱い。描写の視点をどこに置くか。工夫なしにそのまま
訳してしまうと実にくどく、ぎこちなくなる。ごく最近、この師に「描出話法」という
ものを教えられる。一人称でもなく(主人公目線)
三人称(カメラアイ、あるいは「神の視座」。チャンドラーがまさに、そう)の中でも、
直接話法でもなく間接話法でもない、カギかっこでくくられていない
会話文とでもいおうか。その描出話法がだんぜん巧い作家、として
挙げられたのが、エルモア・レナード。この作家は、大流行した90年代に
確か読んだ覚えがあるのだけれど、今は絶版に。中古でやっと入手。
描出話法の処理を知るテキストに、と思った。この話法の処理いかんで
翻訳の巧拙が決まる、とまで言われたら、どうしても知りたい。

読み始めたら、そんなポイントがふっとぶほど惹きこまれた。四時間ほどで読了。
主たるストーリーの殺人事件に何ら新味はなくとも、登場人物のひとりひとりが
キャラ立ちしている。台詞のテンポがとにかく、良い。「これ、誰だっけ?」と
戸惑うこともほとんどなかった。脚本をそのまま読んでいるかのように情景を
浮かべやすいし、台詞の応酬がスムーズ。いい男の台詞には
派手さがなくとも余韻があり、夢のような美女の言葉には仇とウィットが。
あばずれも、頭がからっぽのキンピカのヤクザも、マザコンでおたくな殺人鬼も
活き活きしていて実に魅力的だった。
 
どれが描出話法だったのかをチェックするのを忘れるほど
すらすら読めるということは、違和感なく日本語に処理され、こてで表面がきれいに
ならされている、ということ。原書も魅力的なのだろうが、
それを活かしきった翻訳もさすが大御所。英語を読んですっと台詞が理解できても、
その人物「らしさ」が現れることばを的確に選び、登場人物だったらこう話すであろう
リズムを再現できるのは、語彙力が豊富であればこそ。そしてその人物の
人生哲学のようなものまで洞察できていなければ、キャラクターはこうは立たない。
また、二十年前の作品でも日本語が古く感じられない。往々にして、恋のさや当て的部分は、
古い作品だとダサくなりがちなのに、この作品はいまだ小粋。
泡のように消えてしまう流行言葉を軽はずみに使ってしまうと、こうはいかない。

作者の真意を紐解こうと、山道を分け入るように行きつ戻りつして、
思索を愉しむ読書がある。だが、ディズニーのアトラクション、ローラーコースター的に、
息つく間も与えず、最後までぐいぐいひっぱられたい読書も確かに、ある。

師の言う通りなのかもしれない。日本語の担い手として読者を喜ばせるには、
どちらの文体にも対応できるに越したことはないのだ。やっと開眼。
すべてが芸の肥やし。


* 追記。
主人公のために美女が作るブラディ・メアリー、そしてマティーニを飲むシーンが
映画だったら、すこぶる見せ場。
それと、タマネギをしっかり炒めたサブマリーンドッグを
夜更けに食べたくなって、困った。



(2010-B5-0126)
































































グリッツ (文春文庫)

エルモア レナード / 文藝春秋

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by office_bluemoon | 2011-01-27 08:43 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)