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『ナニカアル』 桐野 夏生

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林芙美子のことがどうしても気になって、入手。
下駄で巴里を闊歩していた頃から10年後の芙美子をモチーフに
あの桐野夏生が描く昭和の『ルンペン』女流作家の
愛と修羅と業(ごう)。

『(前略)
刈草の黄なるまた
紅の畠野の花々
疲労と成熟と
なにかある・・・・・・
私は今生きてゐる。』

作品のタイトルは、太平洋戦争のころ
報道班員としてインドネシアに滞在した
芙美子の詠んだ詩の一節に因む。

この時代、著述家たちは
軍の司令で国民の、占領地の人々の思想統制を目的に
外地に派遣されていた。

ペンが剣より強い、なんて誰がいつ、言いだしたのだろう。
感じたことや衝動を書く自由などない
(旅程中は自主的なメモもすべて禁止・没収された)。
時代が要請することを書き、人民の士気を高めることが
軍部が芙美子たちに担わせた責務だ。
それでも、当時の一般の人々から見たら
大新聞社の後ろ盾を得た破格の待遇で、
ジャワへ、マニラへ、ニューギニアへ、シンガポールに
著述家たちが送り込まれる。

一見特権階級。その実、彼らの言動は微細に監視、
統制されていた。どこに密通者がいても不思議はない。
信じられるのは、自分しかいない。

エゴ、プライド、愛憎と嫉妬。
どうにもならないけれど、どうにかしたいこと。
筆で表現する者たちのテーマは普遍的である。
ここに、時代の潮流と国家権力が重なると
存在意義、個人の意志など
風に弄ばれる木の葉よりもかそけきものとなる。

ナニカアル、イキテイル。
ただ、生きている。
泥ばかりの濁流の河を眺む。
鬱蒼とした熱帯の丘に立つ。

それだけのことに
震えるほどの感興を覚えて、芙美子が絞り出したことば。
たとえ、儚くついえるさだめでも、
愛すること、書くことに
渾身であるすべしか知らなかった
一徹な女がここにいる。

何が始まるかわからない導入部、
そして人物配置すべてが
明らかになる帰結部分のストラクチャーが、みごと。
桐野夏生の面目躍如。
宇野千代、菊池寛、井伏鱒二、など
華々しい文人たちが登場し
この仮説に説得力を持たせる。

また、芙美子が道ならぬ恋に苦悩するほど、
日本で留守を守る寡黙な夫、緑敏(りょくびん)を描く
端正な輪郭が深く胸に刻まれる。
台詞も極めて少ないのに、
体温が伝わってくるような、
芙美子の愛人謙太郎を凌駕してしまうほどの
このじんわりとした存在感はなんだろう。
この夫ゆえ、の奔放な芙美子ではないか。

あとは、『放浪記』をぜひ読んでみなければ、と思った。












(2010-B11-0212)





















































ナニカアル

桐野 夏生 / 新潮社

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by office_bluemoon | 2011-02-16 09:19 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)