『カデナ』 池澤 夏樹
遠い昔、嘉手納基地の中に滞在した。
フェンスが世界を隔てていることは
制度的・概念的には知っているつもりだった。
到着した晩は、
若い士官夫妻の家で手料理をご馳走になった。
マッシュポテトサラダ、ステーキとサラダ。
デザートはアイスクリーム。
家のしつらえも、手料理も、
日用品に至るまですみずみまで
揺るぎなくアメリカだった。
100%無邪気に尋ねた。
「沖縄の食べ物はトライしてみた?」
「いや、食べたことがないんだ」
「どうして?」
「まち中で食事をしないし、する必要がないから」
翌日、施設を案内してもらったときに、
食堂が下士官と上官とで
分けられていると聞いた。指示をくだすときに、
プライヴェートを知りすぎていると、判断が鈍るからだ、と言う。
泳ごう、と向かったのは白砂のビーチだった。
そこも軍所有地だった。
カップルがひと組、アジア人女性を連れた黒人兵が遠くにいた。
シュノーケルをつけて潜った。ホワイトサンドビーチ、に見えたのは
白化した、つまり死骸となったサンゴがどこまでも続くビーチだった。
どうしてこんなにサンゴが死んでしまったのか。
知らないというのはおそろしいもので、
私はここでも心に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「ここで水陸両用戦車の訓練をするんだ」と若い士官は答えた。
軍の役割はその地に適応することではないことを、
このとき初めて理解した。
帰京後、お礼のやりとりがあったのだが、
確かその後ほどなしくて米兵による乱暴事件が起き、
音信は途絶えた。
この本を読みながら、その旅を思い出した。
ベトナム戦争終盤の沖縄。
アメリカ人を父に、フィリピン人を母に持つ、
米空軍に務める美しいフリーダ・ジェーン。
模型屋の嘉手狩朝栄(かでがる・ちょーえー)。
ベトナム人のアナンさん。
オキナワンの人気ロックバンド『ジラー&サンラー』の
ドラムを叩く、タカ。
この四人が分かち合った大罪とは何か。
そしてB-52のパイロット、パトリックは
なぜ虚ろな闇を抱えていたのか。
登場人物たち、そして作戦を支えた名もなき人々が
みな、清々しく愛おしい。
個人の力ではどうしようもない災厄(戦争・占領軍)には
ある程度までしか抗わなかった。無力さに溺れそうになっても、
諦めなかった。
その一方で、国や権力を裏切ってでも
自分の頭で考え、決めたことをまっとうした。
運命をすべて他人まかせにしない。
失敗のリスクもひとりで引き受ける。
今からやろうとしていることは命を賭す価値があるのかを
何度も自問しながら。
「もともと無理なことを大義として掲げてしまうと
組織は動きが取れなくなる。安全弁が固着して中の圧力が
抜けなくなる。そうして自壊する」(345ページ)
意思を持ったかのように見える団体が
みずから思考することを怠った
個人の集まりになってはならない。
有事における国家と、個人のあり方について。
口はばったいけれど、愛について。
ここから学べることは幾つもある。
(2011-B29-0512 )
by office_bluemoon
| 2011-05-17 06:24
| こんなもの、読んだ(本・雑誌)