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A Shot on the Beach#1 - "Over the Clouds"

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遅い午後、
海岸を散歩した。

建材やそれを運ぶトラックが浜に
点在していた。
もうすぐ海の家が建ち始める。

5月だというのに
人並みはずれて日焼けた男たちが
のんびり作業をしていた。
見覚えのある姿に足をとめて、
杭を打つ作業をしばらく眺めた。
男がふたり、振り向いた。
ふたりとも、片手をあげて笑った。

「始まりますね」
「そうなんだよ」
「一年って早いですよね」

ひとりが、遠くに何かをみとめて、
舌打ちをした。

「ありゃ、だめだな」

一台の軽トラックが、
車輪から砂煙を勢いよくあげていた。
数人の男たちが荷台を押していたけれど、
車は前にも後ろにも進めなかった。

「あぁ、またはまってる。
今年は何台助けるんだろうな」

乗って、と言われた。
さあ早く、荷台に。

なぜ、と問う間もなく
レスキューに向かう四駆の荷台に
慌てて乗り込んだ。
デコボコの砂浜を夕陽の方角に走る。
大きくバウンドするたびに、
だんだん可笑しくなってきて
声をあげて笑った。
グラスの底からたちのぼる
泡のように、三人の笑い声は
光の中に消えた。

番狂わせのほうが愉快な、夏がまた来る。
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by office_bluemoon | 2011-05-31 06:25 | ほんの習作(掌編・エッセイ他)

杜にあめ降る

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梅雨入り。台風も近付いている。
こんな日はきっとひとけも少ない、と見越した
天の邪鬼は外へ。

海沿いの道を通り、
思い立って弁天さまと稲荷へ立ち寄る。
平日でもめったにみられないほど、森閑としていた。
誰も歩いていない。
圧倒的な緑に注がれる雨の音は柔らかい。
その規則的な音を破るのは、自分の足音だけ。
傘をさして黙って歩いた。
雨の匂いに新芽と何かの花と線香の香りが交じっていた。
歩きながら瞑想しているようだった。
雨の日にだけ研ぎ澄まされる感覚があるような気がした。
時も場所もねじれていった。
記憶の奥のそのまた奥にある太古の、
遺伝子レベルと言ってもいいほどの
何かが微かに震えているような気がした。

今だったら、精霊が見える、と思った。
石灯籠の向こうを、キツネや夜叉が通っても
今なら幻覚だとは思わない。

幾重にも立ち並ぶ鳥居をかいくぐった奥には
石窟がある。
仄暗いその中で柄杓で水を掬い、
お金を洗うと
弁天さまの御利益があるという。
硬貨がいくつか洗い場の水底で鈍く光っていた。

そういえばうんと幼い頃に
ここにきた。
大人たちが洗っているのが
ほんもののお金なのかが知りたくて、
その硬貨を拾って洞窟の外で日にかざそうとしただけなのに、
親に叱られたのを突然思いだした。
何気なく盗んだと思われたのだろう。
「のんのさま(お天道さまのこと?)が見てるのよ」と
母はこういうときによく言った。



訪れた先で、目上の方に
ハンドメイドのバッジをいただく。
本物の枯れ葉の上に、”Save Energy”。
ほかでもない、今、
このメッセージをみんなが胸につけていたら、
面白いと思ったそうだ。
これほど有効なソーラー・システムはないのにね、と
笑いながら
胸に着けていたのをそのままくださった。

人の叡智をすべて集めても、
手のひらに乗せる一枚の葉っぱほどの命も作れない。

『山川草木悉有仏性』
(さんせんそうもくことごとくぶっしょうあり
- 森羅万象すべてに仏心がある)

それはそれは気の遠くなるほどの昔のこと。
仏さまがやってくる前、
この国にはやおよろずに神さまが宿っていた。
計り知れないものへの畏怖は儀式であり、
美徳でもあった。
その理(ことわり)を忘れたふるまいや思想を
勇気だなんて呼んだらいつだって、
のんのさまの罰が当たる。





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バッジはこちら、鎌倉のHand & Soulさんで購入できます。1枚500円、とのことです。 
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by office_bluemoon | 2011-05-30 17:53 | ほんの習作(掌編・エッセイ他)

"Librairie Côte d'une Couleur"  一色海岸書店

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伝説の編集者がお亡くなりになった。
海のすぐそばに本があり、人が集う場を夢見ていらしたと聞く。
ご遺志を継いだ方々が
その貴重な蔵書を期間限定で公開・販売する
一色海岸書店(Librairie côte d'une couleur)に友人を訪ねた。


蔵書は、想像以上に多岐にわたっていた。
つくづく、誰かの蔵書、本棚というものは
ひとつの小宇宙と呼んでも差し支えないのだと知った。

何かを知る。そしてそれを伝える。
書店は両方の要求を満たすためにある。

書かずにはいられない。知らずにはいられない。
性(さが)、とか業(ごう)、とか呼べるほどの
狂おしい初期衝動が人にはそもそもあるのだとも思った。


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特筆すべきは雑誌資料だった。
素朴な紙質やタイポグラフィ越しに迫るのは、
圧倒的なパッション。
70年代前後の雑誌はいわば、
音をたてて押し寄せてきたサブカルチャーの
モニュメントだ。
若者はみな、舶来のものから
洗練・スタイルの神髄を学ぼうとしていた。
「はじめて」や、「さきがけ」物語がごろごろしている
時代だった。
その後確たる地位を築くことになる、
今ではアイコン的雑誌の前身や、創刊号には
何かが様式化してしまう前の奔放さがあった。


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訃報からまだ日も浅く、悼む声を身近に聞くだけに、
厳かな気持ちで雑誌の山から一冊一冊手に取った。
隠された旋律を聞き取ろうとするように、
書籍の背表紙の列を何度も目で追った。


まだ知らないことの膨大さ。
書架の前に立つたびに必ず思うこと。
圧倒的な知性の前に打ちひしがれるのが
わかっていながら、
本が並ぶ風景にはどうしても引寄せられる。
そして、まだ自分は何もわかっていやしないことをしっかりと
頭に叩き込む。
まだまだ知るべきことが残っていることを確かめに、
私は書店に足を運んでいるともいえる。
知ることの幸福感と
何もわかっちゃいないことを思い知る無力感は交互にやってくる。


これだけのコレクションを所有し、ひとつの時代を築かれてもなお、
故人は新たなる表現の試みを続けていらした、と伝え聞く。

書くこととは。表現とは。
それは、思想の構成、解体、再構成を飽くことなく
繰り返すこと。
その行為は、果てしなく寄せては返すさざ波のふるまいによく似ている。

そういえば、このちいさな書店のある小径は海へと続いている。
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by office_bluemoon | 2011-05-28 01:19 | 活字に遊ばれ(活字のある風景)

与えられた時間

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ゲンスブールを観に。

階下のカフェで友人が言った、凛々しいことば。

『(311後)こんな世の中になっちゃったんだから、
ここから先は与えられた余りの人生なのよ。
だったら、本当にやりたいことからはずれた
余計なことにかかずらっている暇なんてないのよ』

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by office_bluemoon | 2011-05-27 06:45 | 泡沫を掬う(忘れたくない言葉)

いまだわからない

数年前、打ちのめされて
うずくまっていたときに、
友人が書き送ってくれた詩。



「自分の感受性くらい」
茨木のり子

 
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



頬をひっぱかれたようだった。
目が醒めた。

もんだいは、
ばかものなのは身にしみてわかっていても、
そこからどうすれば一歩踏み出せるのか
いまだわからないこと。
これから考えなければいけないこと。














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by office_bluemoon | 2011-05-27 06:44 | 泡沫を掬う(忘れたくない言葉)

『ここではない、どこか病』

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 今日から風が違う、とわかる。そんな初夏の朝はよく、体中の細胞がスーツを着るのを拒んだ。
 会社員の頃、満員電車に乗るのも、毎日同じ場所に行くのも嫌だった。仕事そのものは
(たぶん)それほど苦行ではなかったが、この二つとは中々折り合いがつけられなかった。

 若いときには自分がもっと違う者になれるような気がするものだ。今ある自分、とは
まったく別の姿を夢見るのが当時の私の生きる原動力だった。それを向上心と呼んだり、
野心と呼ぶのかもしれない。
 今ここ、でないどこかに飛びだしたい。こんな気持ちのいい朝に、相も変わらず同じ場所に
行かなければならない生活なんて、もう嫌だ、と満員電車の中でいつも考えていた。このまま毎朝
吊革につかまって歳をとるなんて、ぞっとした。幸福は今いる場所にはない、と信じていた。
その場所をどうにかして探し出してここから飛び出さなければ、幸せになれない、と思いこんでいた。

 たまに外回り業務があった。携帯電話が登場する前の、のどかな時代の営業だった。
それが文句のつけようなく晴れた日だったら、午後三時くらいに都心部のアポイントを入れた。
そうすれば、打ち合わせは午後四時半くらいに終わる。社に戻るべき用事が発生してないか、
公衆電話から確認をとり、電話を切ったらそこから晴れて自由だった。肝心なのは、ここまでで
ちゃんと責務は全うしていることと、何も嘘はついていないこと。携帯電話やモバイルPCがある今では
こう簡単に音信不通にはなれない。文字通り白昼堂々、まだ空が明るいうちに繰り出すことを
自分で決める権利を、こうしてかすめとるのはささやかな悪だくみであり、抵抗だった。

 向かう先は決まっていた、地下深いホームまで小走りになる。海に向かって南下する電車の
四人がけのボックスシートを独り占めする。もちろん車内の人影はまばらだ。電車が地上に出て、
ビル群を後ろに見やり始めたら、買っておいた飲物のプルを抜く。本も読まず、
車窓の景色を眺め続けた。やった。音信不通だ。誰も私がどこにいるかを知らない。
都心から一時間足らずで、雲の形や緑の濃さが変わる。そんなちっぽけな冒険を断行した
自分のちっぽけな勇気にそっと快哉を叫んだ。

 海沿いに花火大会があることを予め調べてある時は、同じ海岸線の二つくらい手前の
小さな駅で下車した。ヒールを脱いで手に持ちストッキングの足で砂浜を歩き、
スカートのまま見晴らしの良い崖によじ登った。空と海の境目が溶けあいそうに
暗くなったころに手のひらよりも小さな花火が次々と海上に上がっては消えて行くのを眺めた。
遅れて届く音が遠さを語っていた。

 身を寄せる店がいくつかあった。そのうちのひとつは眼下に海しかない崎の突端にあった。
店主は平日にスーツ姿の私が現れても驚かなくなっていた。運が良ければほかに誰もいない
見晴らしの良いテラスで風に吹かれてものを考えるのが好きだった。何から逃げ出したいのだろう、
自分らしく生きられるのはいったいどこなのだろう。そこで考えたくらいで
答えなんて出るはずもなかった。今のままじゃいけない、という自己否定から始まる
マゾヒスティックな青臭い問いだった。刻々と空の色が変化する夕暮れからひとり食事をとり、
店主の手が空いたら他愛もない世間話をした。終電の時間を気にして促してくれるのも店主だった。
「もし逃しちゃったら、帰っておいで」と少しだけ心配そうに笑い、
なぜか時折トマトを持たせてくれて最後の客となった私を見送ってくれた。
 今思い返すとあれはあれで、幸福な護られた夏だった。

 月日は流れ、人生の舵をどうやらこうやら取ってきた。今では毎日電車に乗らなくてもよくなった。
同じ場所に毎日行かなくても済むようになった。それでも、私はここではないどこかがあるような気が
いまだにしてしかたがない。また別のどこか、をまだ探している。
 ときどき、携帯の電源を切ることがある。今では音信不通というのは特権的孤立。護るべき隔絶と
なってしまった。呼び出し音も雑念もシャットアウトして、雑踏の中の静寂に逃げ込むことがある。
雑踏から逃げ出していた若い頃とは逆だ。そのエアポケットのような場所で、ここではない次のどこか、に
ついて独り夢想する。今のままじゃいけない、という相変わらず自己否定から始まる
理想と現実の相克だ。
 これもいくら考えたって答えが出るはずはない。歳をとっていくばくかでも知恵がついたことが
あるとすれば、幸せはどうやら現状への肯定、内なる充足というものにあるらしいというのに。

 吹いて行く風に意味を問うふりをしても無駄だ。答えてくれない、だなんて風のせいにしてはならない。
 今、ここ、を愉しめること。そして身を置く場所を選べるしなやかさが内にあること。
 幸せはその両軸に支えられていることをいいかげん薄々気づいているはずなのに。
 
 それを世間では身の程を知る、というのかもしれない。それに抵抗してここではないどこか、を
私は懲りずに求め続けている。もはや若者ではないくせに、つくづく幸せになるのがへたっぴいな愚か者だ。
 
 「ここではない、どこか病」から癒えずに堂々巡りしている自分にたまにとってもうんざりする。
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by office_bluemoon | 2011-05-25 09:10 | ほんの習作(掌編・エッセイ他)

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田 樹

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 メジャー過ぎて敬遠していた学者のひとり。
 一読し、深い洞察をこれだけ平易な言葉で伝えていることに驚く。

 公式サイトの冒頭に「みんなまとめて、面倒みよう」とある。
 書いたものについて著作権放棄の姿勢をとっている、というのを信じて、
最も印象的だったこの部分を抜粋。

 ぼくが学生たちに向かってよく言うことは、「君たちにはほとんど無限の可能性がある。
でも、可能性はそれほど無限ではない」ということです。
 自分の可能性を信じるのはとてもよいことです。でも、可能性を信じすぎて、
できないことをやろうとするのはよいことではありません。だって、ずっと不充足感に悩み、
達成できないというストレスに苦しみ続けることになりますから。
 どこかで自分の持ってる知性的な、あるいは身体的な資源の限界を知って、
それを優先順位の高いものから順番にうまく配分するということも覚えなくてはいけません。(中略)
 精神的にも体力的にも、使える資源には限界というものがあります。目標を適度に設定し、
資源を分配する先に優先順位をつけないと、人間は壊れます。人間て、わりと簡単に壊れます。(中略)

 人間というのは、強いけれど、弱い。がんばれるけれど、がんばればその分だけ疲れる。
無理して先払いしたエネルギーは、必ず後で帳尻を合わせるために改修される。
このあたりまえのことを分かっていない人が多すぎると思います。
 疲れたら、正直に「ああ、へばった」と言って、手を抜くと言うことは、
生きるためにとてもたいせつなのです。疲れるのは健全であることの徴です。
病気になるのは生きている証拠です。飽きるのは活動的であることのあかしです。(中略)
 
 ぼくたちの可能性を殺すものがいるとすれば、それはほかの誰でもありません。
その可能性にあまりに多くの期待を寄せる僕たち自身なのです。



 頑張ることが美徳だと教えられた。その先には必ず報いがあると信じていた。いうなれば、
今ここにいる自分を否定することを原動力にしていた。
 何かを諦めるということについては、学ばなかったし、知りたくもなかった。 
 人は頑張るのと疲れるのと諦めるのを順番にこなしている、と言った方がずっと真理に近いのに。
 
 人はあまりにも簡単に壊れる。それを許すこと、それから気を取り直して
そのかけらを拾い集める手立てについても、心得があったほうがいい。



(2011-B30-0514)















































































































疲れすぎて眠れぬ夜のために (角川文庫)

内田 樹 / 角川書店

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by office_bluemoon | 2011-05-24 12:59 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)

"One for All" Tuck & Patty

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憂いとも空虚とも、
退屈とも名づけられぬ時間。

履きなれた靴のように馴染んだ暗闇。
(『ただいま』)
森の中、満天の星を見上げるような孤絶。
(『どこに行けば?』)

どちらだとしても、
その空隙にただ身を沈めている
恢復の時間。

そんなあるとき、
店を満たしていた声の温かさが
痛いほど沁みて
店員さんに曲名を尋ねた一曲。
Tuck & Pattiの"One for All"。






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by office_bluemoon | 2011-05-20 09:38 | 私的juke box(tunes)

transmission

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満月が自販機と密談しているのを
見かけてしてしまった。
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by office_bluemoon | 2011-05-19 09:42 | ぜんぶ月のしわざ

『ゆで卵』 辺見 庸

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においが(薫りではなく、匂いが、臭いが)立つ文章。
粘膜からたちのぼる、眼に見えぬ気配。
しつこく鼻腔にまとわりつく記憶。

人の哀しい営み。
食と性のあわいを突く
哀しくてエロチックな短編集。

ゆで卵を食べながら、そのかおりを嗅ぎながら
女と交わり、その朝遭遇したサリン事件のことを
述懐する男。
その描写に眉をひそめながらも、
最後まで頁を繰らずにはいられなかった。




(2011-B31-0516)




















































ゆで卵 (角川文庫)

辺見 庸 / 角川書店

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by office_bluemoon | 2011-05-18 08:00 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)