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at a brewery

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土星の図書室、ではなく、ビール醸造所でみつけたミニミニライブラリ。
西洋の醸しものしばり、の選書、なかなか。




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by office_bluemoon | 2016-03-28 08:03 | 活字に遊ばれ(活字のある風景)

Fiori di Ciliegio e la Luna Piena

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ジャズピアノコンサートの帰り。
満月。

まだ耳に残るシンコペーション。
命燃やす、花をくぐりながら。










































































































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by office_bluemoon | 2016-03-26 07:54 | ぜんぶ月のしわざ

ミニマリズムでいこう:『ハーバード式ロジカル英語』

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お仕事でもお世話になっている、ビジネス・ブレークスルー大学経営学部教授・青野仲達さんの新著
グローバル時代を生き抜くための ハーバード式英語学習法』の続編。

1冊目のメッセージはこうだった――シンプルな文を5つ書くだけで、世界で通用するエッセイになる。
2冊目になる本編ではこれに加え、文を短くするテクニックや、印象的で、説得力あるアウトプットをする
コツをさらに具体的に紹介。ビフォア―/アフターの例文を対比させて見せてくれる。
すべて対訳がついているし、文法的な解説も必ず添えられている。前の記述と照らしたり辞書を引いたり
せずに済むので、読みやすい。

さて、「ハーバード式」と謳っているのは、青野氏がハーバード・ビジネス・スクール(以下、HBS)の卒業生
だから。
HBSでは入学者を決める際、TOEFLやGMATなどの検定試験の点数は重視しない。勝負は、
志願者が書く「エッセイ」で決まる。それではHBSではなぜ、エッセイを重視するのか。
その理由は、以下の3点があぶりだされるからだと青野氏は指摘する。

1) ロジカルな思考ができるか
2) 他の人と違う差別化要因を持っているか
3) その違いを効果的に伝えることができるか

その昔、HBSに出願すべきか青野氏が迷っていた時に、やはりHBS出身の英国人だけが
こうアドバイスした。「君はHBSに行った方がいい」。理由はこうだった。
”You’re very different.”
(君はまったく違う)

他の日本人学生と違うから。日本では「出る杭は打たれる」というけれど、
それがHBSでは武器になる。この点をアピールできるか否か。グローバル・リーダーになれる素質が
すでにここで問われているのだという(p.210)。

ところで、自戒をこめて痛感することがある。たしかに、ある程度英語が書け(話せ)ても、
主張を通さなければいけない場面ではかならずしも有利ではない。思ったことをすらすらとたくさん書ける
(立て板に水、で話せる)と、達者そうに見える。しかし、ある程度の語学レベルに達している人ほどつい、
一文が長くなり、しかも文を数多く重ねるのでポイントがぼける。冗漫になると、インパクトが薄まる。

Less is More(減らせば、増える)。ドイツの建築家が残した名言だ。これが、文を書く上での極意にも
なると青野氏は述べる(p.148)。

この文章作法、なんだか、聞き覚えがある。そう思った数ページあとに出てきたこの英訳に、
笑ってしまった。引用する。

***
日本語にも「シンプル」の伝統があります。たとえば「枕草子」です。夏は夜(がすばらしい)。
理由は月、蛍、雨。そのシンプルさは衝撃的です。まるで英語の5行エッセイを読んでいるような
気になります。

Summer is best at night.
(夏は夜がすばらしい。)
The moon shines perfectly.
(月の輝きが完璧だ。)
Fireflies mingle in the dark.
(蛍が暗闇に飛び交う。)
Even the rain is lovely.
(雨さえもいとおしい。)
I love summer nights.
(私は夏の夜が大好きだ。)
(p.154)

***

(本ブログ筆者による原文引用:
夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍(ほたる)の多く飛(と)びちがひたる。また。ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降(ふ)るもをかし。 
参照サイト:http://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005150081_00000)

一番、伝えたいメッセージは何か。何を、どのような順番で話せば自分の考えが相手に
伝わりやすいかを考えることは、すなわち、相手へのリスペクト(p.29)。
美しいデザインが「機能的」であることと、美しいエッセイが「論理的」であることは、
イコールといってもいいのだとも(p.30)。

この指摘、日常家電などの多機能化を目指すより、無駄なものをそぎ落とした用途の美を思い出せ、という
プロダクト・デザインへの警鐘とも共鳴する、とふと思う。

清少納言もしかり。ミニマリズム。なんだ、古来日本人の得意とするところではないか。

そぎ落として、そぎ落として。
あなたが、あなたでしかない、私が私でしかないオリジナルを、シンプルに提示できればいい。
それだけでいいのだ。

だから、本書のエッセンスは応用範囲が広い。英語の初学者はもちろん、英語と日本語の熟達者、
英語以外の外国語でコミュニケーションを図らなければならない人にも役立つヒントが満載だ。



















































































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by office_bluemoon | 2016-03-14 10:45 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)

京都考2冊:『イケズの構造』・『都と京』

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2015年の『新書大賞』を受賞した「京都ぎらい」が次の読書会課題。
ネット書店でも品切れが続き中々届かなかったので、到着待ちの間、類書2冊を読む。
京都生まれ、東京生まれ、2人の著者からみた京都比較文化論、
これが、2作とも京都愛あふれる良書だった。


「イケズの構造」入江 敦彦

入江氏は京都市西陣の生まれ。髪結い屋の長男に生まれたが、現在は英国在住。京都弁ネイティブとして、
「イケズ」とは何か、というテーマを軸に、京都気質を論じる。

「イケズ」を標準語に置き換えると、「意地悪」とか「皮肉」だとずっと思っていた。まず、そこからして
認識が違っていた。これを読むと、人付き合いに欠かせない、緩衝材といってもいいらしい。ならばなぜ、
京都人はイケズを言わなければならないのか。この点にこだわって「京都人ならばこう言われたらこう返す」、
という受け答え例文集(?)を素材に、言外の含み、イケズと非イケズのあわいに切り込んでいく。

この本で最も面白かったのは、清少納言や紫式部の時代だったら京都弁でこんなふうにしゃべっていた、と
翻訳するくだり。「春は曙」も、「春いうたら曙やね」になるし、光源氏を巡る恋のすったもんだも、京都弁に
したとたんにセリフがリアルになる。そうか、彼女たち、彼らはネイティブだったともいえる。
現代語を飛び越えて、京都弁をしゃべらせてみることは思いつかなかった。

著者によると、紫式部はイケズのきわみで、清少納言はそうでもない、のだという。分析は平安の才女に
とどまらず、利休は筋金入りのイケズ、という仮説のもと、秀吉との確執をひもとく。海外にも生息していた
イケズの筆頭は、シェイクスピア。あのハムレットの名セリフも京都弁だと、「どないしょー、
どないしょかなあ。……どないしよォ?」というのは、蓋し、名訳。

京都人の心理をえぐりながらも、イケズという生き方を肯定しているさまが小気味良いのは、筆者がいま
海外から日本を、京都を眺めているからだと私は考える。イケズを肯定し、インサイダーでありながら
それを客観的に笑える遊び心から、私たちが学べることはたくさんある。




「都と京」酒井 順子

2冊目は、エッセイスト酒井順子さんが、東京人の目から見た都市比較論。「始末とケチ」、「綿矢りさと
金原ひとみ」、「俵屋とコンラッド」、「『はる』と『らっしゃる』」などなど、非常に興味そそる章立てで、2つの都市を
対比する。ここでも、「源氏物語」が俎上に乗り、紫の上が明石の君に惹かれた展開に見る、京都人が「鄙(田舎)」に抱く畏れについて考察を展開する。
この伏線があってこそ、最終章の「京女と東女(あずまおんな)」のこのくだりが活きてくる。

この京女と東女の違いは、「先を見越す能力の強弱」から来ているのではないかと、私は思います。
東女というのは、「今この瞬間、幸せになりたい」のです。(中略)対して京女はもっと先のことを考えています。
歴史の中の一コマとして息、次の世代にバトンを渡すために存在する自分という意識があるのでしょう。
目先の幸(さいわ)いや快楽を取ろうとせず、一時的な感情を呑み込み、したたかなまでに耐える。
(中略)「今この瞬間」を大切にする東女は、刹那的で、無常感を抱えているように感じられます。
もちろん、年に生きる者の常としてその手の感覚を私たちは持っているのですが、しかし私は、
実は京女の方が、東女よりももっと深い無常観の中で生きているような気がするのです(p.245~p.246)。


京都への憧憬はそのままに。東京人である自分を否定せずに、2つの違う文化圏を
タイムトラベラーのように行き来できる喜びに溢れている軽やかさが、いい。
さすがは息の長い、エッセイの名手。
























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by office_bluemoon | 2016-03-09 21:43 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)

探偵小説・冒険小説指南本・『樽』(丸谷才一・内藤陳・クロフツ)

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松本清張『点と線』で、古典ミステリーの良さを思い出した、続き。
そう、こういう、奇をてらいすぎない、人物像に味がある、謎解きが好きだったんだっけ。

ほかにも名作を思い出したくて次に手を伸ばしたのが、丸谷才一『快楽としてのミステリー』
日本語の美しさここにあり、と文語体を貫こうとする丸谷氏と真正面に向き合う覚悟がなくて、
部屋の隅に久しく積まれたままだった。機が熟したのか、今度は一気に読めた。
未読の古典名作に付箋をたくさん貼る。

何よりも、丸山氏のチャンドラー論はどれを読んでも百万の味方を得たり、の気分。
「これが文学でなくて何が文学か」の見出しには、泣けてくる。

探偵小説にせよ、純文学にせよ、ミステリーにせよ、サスペンスにせよ。
その作品が好きかどうかの指針は、この一点にこだわるのでいいのだな、と得心した一節を。

(前略)探偵小説の本筋からいへばまったくどうでもいいこんな挿話の連続が、何度も読み返したくなるくらゐ
(事実わたしはさうしたのだが)楽しいのは、人間の味はふ幸福感を正確にとらへてゐるからである。
人間は一般に、ときどき幸福な気持になって満足するのでなければ生きてゆかれない。たとへそれが、
木の葉が日の光を浴びて風邪に揺れるのが美しいとか、起き掛けに飲むいっぱいのお茶がおいしい
とかのやうな、ごくささやかな満足であっても、われわれはそれに力を得て生きてゆくことができるのである。
それは人間の生の根拠だらう。しかしたいていの探偵小説は、こんな当たり前のことをすつかり
見落としてゐる人々によって書かれてゐる。
 探偵小説に限らず、現代文学が一般に人間のそんな生き方を正視しなくなり、幸福感を描くことを
怠ってゐるといふ状況について、ここで詳しく語るゆとりは、残念ながら与へられてゐない。(327頁)


面白本オススメ人、の雄をもう一人。
なんで、久しく思い出さなかったんだろう。人生を変えた一冊だったのに。
内藤陳『読まずに死ねるか!』。
この本に出会わなかったら、フォーサイスにも、フォレットにカッスラー、クラーク、ケンリック、パーカーにも、
そして和田誠の本に中学生が手を伸ばすこともなかったはず。

「ハードボイルドだど」の決めゼリフよろしく、カウボーイの格好で見事な拳銃さばきを見せる、
コメディアン時代の内藤氏を私はリアルタイムでは知らない。だけど、オススメ本の書評を書くかたわら、
冒険小説好きがこうじて内藤氏が開いた新宿ゴールデン街のバー、
『深夜プラス1』はある時期、憧れの聖地だった。呑み助の先輩の先導でおそるおそる店の前までいって、
中を覗き込んですごすご帰ってきたことが二度ほど。あのとき、扉を押す勇気があったなら。

こちらでも、内藤氏と、開高健氏の対談の中から、これでよかったんだ、とわが意を得たりの一節を発見。

だから、本格とかトリックとかありましたけど、やっぱりぼくたちが冒険小説とかハード・ボイルド・ミステリが
好きなのは、人間が好きなんですね。事件もカギも、そんなことは付随した条件にすぎない。もちろん、
それがよきゃなおいいけれども。ぼく、町のバーテンだとか、ショッピング・バッグ・レディとか、
脇役が好きだったりするんです。よい作品てのはたとえワン・シーン登場のやつでもしっかり描かれて
いるんです、人間が。それで、どうもナゾ解き・本格というのはもういいやと思っているんですけど、
これ乱暴でしょうか?(50頁)



この流れから、アイルランドの作家、クロフツのデビュー作『樽』を、読む。綿密な調査で
アリバイを崩す、という点にかけては、『点と線』と東西の双璧を成す、とのこと。
なるほど、派手なスター探偵や捜査官は出てこないけれど、それこそ
靴をすり減らして捜査する地味な登場人物たちには、
味がある。そこに人情のスパイスもひと振り、ふた振り。評判にいつわりなし。



























































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by office_bluemoon | 2016-03-07 21:43 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)

読書欲がかきたてられる本: 『立花隆の書棚』 立花隆・『日本流』  松岡正剛

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知の巨人二人の本を、続けて読む。

『立花隆の書棚』 立花隆

書架の写真とテキストで全650ページ。
持つ手にも、頭にもずっしりときた。

文京区小石川にある立花氏の書庫兼書斎『ネコビル』をはじめ、
大学研究室、別棟書庫の蔵書を撮影。その内容と、購入した背景を解説した本。
さながら、知のカオス。ラビリンス(迷宮)。
本文で気になる書籍に付箋を貼り、書架写真の背表紙の文字はルーペで拡大して
じっくり読んだ。他人の書架に並ぶ背表紙が気になってたまらない人には
決して長さを感じさせない、垂涎の一冊。保存版。

私にとって初めての立花隆本は、『田中角栄研究』でも、『臨死体験』でもない。
1995年頃に刊行された、『僕はこんな本を読んできた』。これを読んで以来、
立花氏の読書14か条に影響を受け、ことあるごとにその切り抜きを見返してきた。

1. 本に金を惜しむな。
2. 同テーマの類書を読め。
3.選択の失敗を恐れるな。
4. 自分の水準に合わぬ本は途中でもやめろ。
5. 読むのをやめてページだけは最後までめくれ。
6. 速読術を身につけよ。
7. 読みながらノートはとるな。
8. ガイドブックに惑わされるな。
9. 注釈に注意せよ。
10. 書かれていることを疑え。
11. オヤと思った情報はチェックしろ。
12. ?と思ったらオリジナル・データにあたれ。
13. 難解な翻訳書は翻訳を疑え。
14. 大学での知識はなにほどでもない――若いうちはとにかく読め!


この14か条に出会ってから、気づいたら20年余。
知の巨人はますます、エントロピー的に知の迷宮を広げている。
知らないこと、読んでない本がこんなにある!のを知るのも、これなら読んだ!という
背表紙を書架に見つけるのも、両方楽しい。

人類の歴史や宗教を振り返るうえで、西洋やイスラムの人々の思想の礎になっている書物
――聖書はもとより、イスラム思想、哲学書――に、今回は付箋をたくさんつける。
そう、学校時代に受け身で覚えさせられた知識は疑うべきだし、それだけではいかんせん、
世の中をわたってはいけないのだ。



もう一冊が、こちら。
『日本流』 松岡正剛

もうひとり、博覧強記の代名詞、ともいえる松岡正剛氏。

そもそも、『かなりや』や『雨降りお月さん』『赤い靴』といった
日本の童謡はなぜ、そこはかとなくもの哀しく、寂しげなのか?
この疑問に端を発し、古くから「多様で一途なものが好き」な日本人が
どのようなもの・ことを愛で、そこからどのような文化や言葉が生まれたかを
絵巻のように紹介し、この国の行方を憂えもする、絢爛たる日本論。

日本人は晴れやかな【あっぱれ】なものに惹かれつつも、
滅び、変化するもの、はかない【あはれ】な事象に常に目を向け、遊んできた。
ここで、【あっぱれ】と【あはれ】は音も似た、対になる概念であるのだという。

立花氏の書架を眺めたその目で世界から見た知の潮流を駆け足で俯瞰。
その後、『日本流』で松岡氏と日本の歴史をさかのぼると、この島国で醸成された
文化の独自性にあらためて、気づかされる。

日本びいきをするにせよ、しないにせよ、古今東西の多様な価値観を見知った上で
みずから考え、謙虚に立っていたい、と痛感する。






































































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by office_bluemoon | 2016-03-06 13:38 | こんなもの、読んだ(本・雑誌)