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デグとPeanutsと解けぬ魔法


コーヒーを口元に持っていった瞬間に、
天から降ってきたように、思いだした。
子供のころ、私が誰よりもうらやましかったのは、
商店街の本屋さんのひとり息子、デグだった。
「出口書店」の子だったから、デグ。
名前はもう覚えていない。



低学年の私は、とにかく病弱だった。
気管支炎の発作をしょっちゅう起こしていた。
病院の帰り道、その日辛抱強い子だったら、
あるいは、しばらくベッドで
横になっていなければならない容態だったら、
Peanuts、スヌーピーのマンガを一冊だけ
母が買ってくれることになっていた。

当時、作者のチャールズ・シュルツ氏はまだ存命していた。
アメリカの新聞に連載されていた4コママンガを
まとめていたこのシリーズはすでに、
店頭に100冊前後あったんじゃないかと思う。
2ヶ国語表記のペーパーバック。
訳者は谷川俊太郎氏だった。

スヌーピーの絵柄のバッグを買ってもらうより
本のほうが嬉しかった。長く楽しめた。
“Good grief!”の訳がなんで「やれやれ!」なのか、
ウッドストックの達観、
チャーリー・ブラウンの悲哀が
ちっともわからなくても、かまわなかった。
子供向けの本よりも、謎に満ちている、腑に落ちないことが
多いところが気に入っていた。

装丁も、卓越していた。
紫と茶色、とか、青背景に黄色文字、とか、
日本の本にはないカラーセンス。
ペーバーバックならではの紙質のせいで、
絵本で使われている
硬くて白くてつるつるの上質紙に比べて
はるかに大人の持ち物に思えた。

増えるたびに嬉しくて、
書架に並べた背表紙の配列を入れ替えて遊んでいた。
だから、まだ持っていない表紙の色はどれだろう、と
その日の1冊を選びだすのは、
とても真剣で神聖な作業だった。
たいがい、病院帰りでぼうっとしているから、
そんなに長くしゃがみこんではいられないのだけれど。
この書店のPenutsの棚の前だけは
飽きることがなかった。
Peanuts全巻が並ぶのを、ずっと眺めたり、
読みふけっていられたらなぁ、と思っていた。

だから私は、デグのことが羨ましくてならなかった。
家の商売が履物屋の子も、八百屋の子も、文房具屋の子も、
ラーメン屋の友だちもいた。
それでも、やっぱり、デグ、がいっとう羨ましかった。
何かを売っているわけではない自分の家が
うらめしかった。



そんなことをつらつら思いだしながら、
カフェのテラス席から店内の書架を見渡す。
ブランドショップのウインドウが連なる
ゆるやかな下り坂が環状線に突き当たったところに
その店はある。

このカフェは大手書店とタイアップしていて、
未精算でも店内の本を自由に持ち出し、
席で飲物を手に読めるのが売りになっている。

コーヒー片手に外のテラス席で、
本や雑誌を気ままに広げても構わない。
趣向を凝らしてディスプレイされた店内の随所に、
座って読めるように椅子が置かれている。

ここの本を所有しているわけではないのに、
一生かかっても読み終われるはずもないに、
世界を俯瞰しているような気分に満たされる。
そこにある古今東西の本を
好きなだけ、夜中でも、どれでも、
気兼ねなく座りこんで、読んでいても構わない。
なんたる贅沢、と思った時に
急にデグのことを思い出した。

Peanutsの書架に魅せられた小学生は
今では少しはじょうぶになって、大人になった。
それでも書架の前に陶然としていたくて、
ふらふらと書店に吸い込まれていく癖は変わらない。

背表紙が壮観に並ぶのを眺める胸騒ぎは、
止められない。
進歩がない、という言い方もある。
魔法がまだ解けぬまま、ここにいる。
本にまつわる喜びの果てしなさは、
いまだに私を捉えて離さない。

冷めてしまった紙コップをことり、と置いてふと思う。
デグは、本好きの大人になったのだろうか。





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(Esquire最新号。特集はハビエル!新婚の。。。)
by office_bluemoon | 2010-10-17 10:02 | 活字に遊ばれ(活字のある風景)