office bluemoon

hellos and goodbyes

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知らない人なのだけれど、よく知っている人がいた。

ブログで一方的に見知った人だった。
話をしたこともない。コメントをやりとりしたこともない。
たまたま隣町に住んでいる人物だったから、
日常、往来やよく行くカフェや飲み屋でお姿を見かけた。

そのブログとは、こんなふうに出会った。
近所にある、実に隠れ家的な店の来歴を知りたくなって
検索していくうちに、行き当たった。
辛口にせよ、甘口にせよ、すべてを説明しない
ほんの数行に余韻があり、好感が持てた。
はじめは散歩先を選ぶときのコンシェルジェのように、
何かと頼りにさせていただいた。

写真から、白髪のつややかな男性だと知った。
たいへんな本読みで粋人、かつグルメ、とお見受けした。
興味深いブログを見つけたときの常で、
この書き手のことをもっと知りたくなった。
遡って読んだ。五、六年分あった。
結局、引き込まれてすべて通読してしまった。
いろいろなことがわかった。

つい数年前に、再婚されたのだった。
新婚のよろこびが抑えても溢れていた。
人生を謳歌されていた。
お相手は私くらいの年頃の方で(つまり、少し人目を引く年の差夫婦)、
しかもたいへんに美しい女性だった。
なにぶん足を運ぶ散歩ルートやお店の嗜好が似ているから、
女性のほうをお見かけすることもあった。
お二人揃って、という場面にはなぜか出くわさなかった。
いずれか片方が人待ち顔、という情景ばかりを見た。
おかしなことに、知りすぎているこちらのほうが照れてしまって
眼を伏せた。

覗き見趣味はないつもりなのだけれど、
映画のひとこまを客席からゆるやかに見ているようだった。
最後に私が見た彼女は、
ある店でワイングラスを傍らに、背筋を伸ばして
手帳に何かを書きとめていた。まだ浅い夕方だったから、
彼女の肩に西日が差して横顔に濃い影を落としていた。
彼を待っているのだな、と思いながら私は勘定を済ませ、
その場を立ち去った。

そのうち、ブログから二人の別離を知った。
原因については何も記されていなかった。
くだんの男性が弱気を振り払って
一人暮らしに慣れていくプロセス、
そして彼女は住み慣れた場所を飛び立ち、
国内外を移り住むさまを読んだ。

311後の男性の行動には、目覚しいものがあった。
核に関して、原子力について、防災について。
政府になど頼らず、自らの知恵で生き延びなければ、という
バイタリティーが、老い先の弱気を凌駕していた。
避難場所、防災グッズ、生活の知恵について。お店情報のみならず、
こうした硬派な情報についても、とても頼りにさせていただいた。
よく遠出をされていた。
旅先の酒の肴などについて読むのも楽しみだった。

あるとき、ブログが止まった。季節が移ろった。
長期旅行にしては長すぎた。
われながら下世話だと思いながら、
検索をした。本名で登録をされていたから、すぐにわかった。
数週間前に急逝されていた。ご友人の記述によると
持病が再発し、深夜に集中治療室に入ってから
2日ほどのことだったらしい。

あれほど311の災厄から、汚染から生き延びようとした人が、
いうなればみずから抱えていた時限爆弾のタイマーがゼロに達し、
亡くなってしまった。
すぐに、女性のブログにも訪れた。遠い国の空の下にいた。
訃報を受け、書かれた記事の末尾に「ありがとう。そして、ごめんなさい」とあった。

あたりまえだけれど、彼のブログは以来、止まっている。
そんなことはわかっているのに、
今でもたまに、ブックマークしたままのブログを私は訪れる。
失笑する。いったい、何を確かめたい。

人の死には、映画のようにきれいなエンドロールが、
絶妙のタイミングで流れるわけではない。
明日また続きを読もう、と夜更けに伏せた文庫本とも違う。
次のページは永遠にめくられない、というのが
知識ではわかっている。
その知識を消化できない私をあざわらうかのように、
彼の切り取った日常はやはり、早春のある日にぷつん、と止まっている。
愛犬に噛まれて痛む傷跡や、核汚染された日本の未来を憂慮したまま。

こんな不可思議な距離感で知る誰かのある日突然、には、
妙な角度に差し込む不思議な痛みがある。
感傷、とも少し違う。
死とは何かの半ば、に予告なく訪れるものだということを受け入れよ。
その逃げようのない事実を、
ブログが静かに、厳然と示している。

この痛みの教えも活かすも、殺すも、
なんてことない、今朝みたいな晴れ渡った朝からすべてが始まる。
赤とんぼが、ものいいいたげにくるりと回って飛び去った。
また、秋が来た。
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by office_bluemoon | 2012-10-04 14:37 | ほんの習作(掌編・エッセイ他)