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ごま油で揚げた天丼

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照りのある、木枠に模様ガラスをはめ込んだどっしりとした引き戸を開くと、
あたたかなごま油の香りにふわりと包まれた。築100年を超えるという歴史を感じさせる柱、
高い天井、奥には二つに分かれた座敷が見えた。高い位置にあるテレビには
相撲中継が映っていて、興奮したアナウンサーがしゃべっていた。
制服を着た白髪の給仕係は、きびきびと歩き回っていた。

この店の名物と聞いた天丼は、15分ほどではこばれた。蓋のついた丼と椀がでん、と
置かれた。漬物も添えられた。丼の蓋からは海老の尾が少しだけ飛び出ていた。

蓋をそうっと開けた。ごま油で揚げた天ぷらは濃い褐色をしている。海老と野菜、おそらくイカと
キスの天ぷらが中央に寄せられて、タレにまぶされてはんなりとご飯の上に盛られている。
海老にまず箸をつける。衣と身が離れないように注意深く噛み切ってすかさず、
タレのしみたあたりのご飯をほおばる。しょっぱさと甘さが渾然一体となった、
見かけほど重過ぎない香ばしさが鼻腔を打った。同時に、記憶のかたまりが
うわっと押し寄せてきた。

子供の頃、家から6,7分ほど歩いたところに蕎麦屋があった。そこでたまに頼む
出前の天丼が、大好きだった。そこに出向いて食べるよりも、なぜだか出前で
届けてもらったほうが格段に美味しく感じられた。この家族経営の蕎麦屋には、近所で
顔の知られたおじいさんが働いていた。うりざね顔で、落語家の誰かによく似た
福顔で白髪のおじいさんは、出前持ちをしていた。

おじいさんがやってくるのは、曲がり角の手前からでもわかった。油切れできしむ音をギイギイとたてる
年季ものの自転車に乗っていた。そのハンドルを片手で持ち、もう片方の手で岡持ちをかかげ、
おじいさんは勢いよく上半身を前後させて立ち漕ぎでペダルを踏んだ。子供好きだった。
道でたむろしていたり、ひとりで歩いている子供をみつけると、ほくほく顔のねずみのような表情で
口をとがらせ「チュウチュウチュウ」、と音を立て子供をあやしてすれ違っていくのが
町内の日常の風景だった。浅野屋、という店だったから、「浅野屋のおじさん」だった。
おじいさんが浅野屋さんの家族だったのか、雇い人だったのかも、いつしか店がなくなり、
コインパーキングに変わってしまった今となってはわからない。

旅先で出会ったこの天丼は、あのおじいさんがはこぶ天丼の味にとても似ていた。
浅野屋はこんな観光地の有名店なんかじゃない、地元の人の食堂代わりの蕎麦屋だった。
私と弟にとってここの店屋物はご馳走で、カツ丼も、ラーメンも鍋焼きうどんも美味しいのだけれど、
白眉はごま油で大きな海老を揚げた天丼だった。勝手口で『おくさん、浅野屋です』と
おじさんの声がすると、走って見に行った。岡持ちの蓋をあけて、どっしりとした丼を
次々と取り出すのを、生唾呑んで見守った(受け取りは絶対にやらせてもらえなかった。
がさつだからこぼすと思われていた)。湯気の立つ丼の蓋を開けて食べるのが最上なのは
当たり前だけれど、ひとりだけ帰宅が遅くなって冷めてしまった天丼でも、美味だった。
冷めてなおごま油の衣の香ばしさは複雑な層になって口の中に広がり、冷んやりとした
固めのご飯と甘めのタレのからみ具合も絶妙だった。

店屋物を取る主導権は子供にはない。だから、大人の都合で、予告なくあらわれる
ハレの食事だった。家族の誰かがいなかったり、今日は楽をしましょう、というときの店屋物だから、
弟と私と、それにいとこや誰か、でこじんまりとコタツにあたりながら食べた。たいてい、テレビの相撲や
プロレス中継、時代劇がつけっばなしで、子どもたちは勝手にしゃべるし、祖母がテレビに向かって
話しかけたり毒づいたりするから、騒々しいことが多かった。

外で自転車に乗ったおじいさんに出会って、下げている岡持ちに丼が乗っていて
浮きあがった蓋の下からみだした海老のしっぽが見えたら
(丼2個以下のときは、外から見える岡持ちを使っていた)、うちのかも?とわくわくした。
ひとりだけ遅く帰ってきたときなどに、洗い終わった丼が勝手口に置かれていたり、
衣の残った海老のしっぽを流しに見つけると、泣かんばかりに悔しがった。

遠くからでもギイギイと聞こえる自転車の音から始まって、ブレーキの音、我が家の鉄柵門を開ける音、
勝手口でおじさんが祖母を呼ぶ声(ここで、子どもたちはコタツの部屋にダッシュして集まる)、
余計な口を利かずおじいさんが岡持ちから取り出す丼、という一連のシークエンスを思い出して
今こう書いているだけで、ごま油の香りが口の中に満ちてくる。ことさらにお愛想を言うわけでもない、
でも嬉しそうに働いているおじいさんが岡持ちをさげ、勝手口に立っている情景が私は大好きだった。

旅先でふらりと入った老舗の食堂は、感銘を受けるほど風情があり、お味も良かった。
そのことよりも、このレトロな食堂は、40年も前の味の記憶と、食事の風景を、驚くほど
リアルに蘇らせるタイムトンネルになった。いったん長い眠りから覚めたイメージと味覚は、
旅の天丼から数日経っても、子供時代に夢中でほおばった味とコタツを囲んだ風景を反芻させ、
私の胃液を搾り出している。「浅野屋のおじさん」が届けてくれたのは、丼からはみ出すほどの思い出と、
幸福な時間だった。
by office_bluemoon | 2015-01-14 22:52 | ほんの習作(掌編・エッセイ他)